高千穂町に古くから残る、椎茸に関する古文書をご紹介いたします。このほかにも高千穂所蔵ではない椎茸関連の古文書についてもまとめていますので是非ご覧ください。
この文書は、高千穂に現存する椎茸に関する古文書の中で最も古いものです。(享保二十年・1735年)この頃既に椎茸が栽培され、取引がされていたことが分かります。
享保二十年 上野村
田原村
従御公義御尋品々二度目書上帳
(御公義よりお尋ねの品々 二度目書上帳)
卯五月 川内村
五ヶ所村
一菌類
椎たけ
春子
秋子
松たけ
春子
秋子
右之外ハ先達而書上候通御座候
(右の外は先達って書上げ候通りに御座候)
この古文書は、天保三年(1832年)に現在の高千穂町大字岩戸に住んでいた庄屋が、延岡藩の御役所(物産方)へ、椎茸の生産(椎茸山仕込み)を願い出た文書です。
江戸時代は、全国的に庭木一本でさえ個人所有が認められてなかったので、シイタケ栽培に使用する原木(ナラ・シイ・クヌギなど)の伐採を領主に願い出て栽培し、栽培できた椎茸にかかる運上金(租税)を納めますと約束した文書です。
この岩戸地区では、かなり椎茸栽培が盛んだった様で、この庄屋さんが集荷した椎茸を大分県佐賀関の問屋を通じて、大坂へ「日向椎茸」の銘柄で送っていたことが、別の古文書に記されています。
椎茸山被下銀 辰十二月
受取書 岩戸村
産物方御役所
覚
一 七銭五百目也
右は椎茸山御仕込に付
当村え下される銀、当辰年分
御渡し遊ばされ
(※1)割儀
差上げ申す処 件の如し
天保三
岩戸村弁指惣代
十二月 甲斐伊兵衛
同村庄屋
土持霊太郎
産物方
御役所
願い上げ奉る椎茸山の事
岩戸村之内市のさり
一 椎茸山壱ヶ所
右は当村土持完治下受けにて、右の場所にて
椎茸山仕込み仕り
をもって、相応の(※2)運上銀、年の御上納にて
当子年より申年迄拾ヶ年の間
(※3)
右の段恐れながら書面をもって願い上げ奉り候
岩戸村庄屋
子四月 土持霊太郎
山林
御役所
(※1)割儀=分配
(※2)運上銀=商売売り上げに対する税金
(※3)御免=御許可
このほかにも高千穂所蔵ではない椎茸関連の古文書についてもまとめていますので是非ご覧ください。