Tag: #椎茸栽培 #椎茸 #しいたけ栽培 #しいたけ #原産地 #DNA解析
1614年から高千穂郷を治めた有馬藩の検地記録「国乗遺文」に椎茸が出てきます。税収がどのくらい上がるのかを調べる検地は最初に実施されるものなので、この記録は1614年のものと言って良いでしょう。椎茸の栽培が始まったのは1664年と言われてますので、高千穂郷はもともと椎茸がたっぷり自生していた、椎茸が育つのに最も適している土地と言えます。
さらにどのくらい古くから干し椎茸が作られているかというと、典座教訓に干し椎茸を日本から中国に輸出していたことが書かれているので少なくとも800年前。服部先生は1500年前まで遡れると言ってるので控えめに書いても1000年前です。
しいたけはボルネオ原産で、その胞子が渡り鳥にくっついて飛来し、大分宮崎熊本の県境にある祖母山の麓に落ちて自生が広がった可能性が高いです。(以下の図はハーバード大学による椎茸のDNA解析をまとめた研究"Phylogeny and biogeography of Lentinula inferred from an expanded rDNA dataset"より)
この図を見る限りDNA解析の結果からはボルネオ→日本→中国大陸へと椎茸は広がっていったようです。中国から日本に伝わった説は間違いでしたね。
JPN2(宮崎)とJPN4(北海道)の分離株がグループIaの基底に位置しています。これは、これらの分離株が他のグループIaの分離株よりも進化的に祖先的な位置にあることを意味します。
また、テキサス大学の研究"A global phylogenomic analysis of the shiitake genus Lentinula"によると日本固有の椎茸種は300万年前(3Mya)に祖先から分岐したと考えられています。現生人類(ホモ・サピエンス)が日本に到達するのは、それからはるか後の約4万年前です。
そんなわけで縄文時代にはもちろん倒木に椎茸が生えていたはずです。
ちなみに縄文人の末裔で、文字を持たず口伝で太古から文化を繋いできたアイヌの言葉では、生える原木が違うと椎茸の呼び名も違います。
komni-karus コムニ・カルシ [カシワギに生じるシイタケ]
pero-karus ペロ・カルシ [ナラの木に生じるシイタケ]
karus-sine-say カルシ・シネ・サイ=シイタケ1連.*シイタケ10個をチミンニペシ(生のシナ皮を裂いたもの)を用いてひとくくりにしたものをこう呼ぶ
◆古代の文献に出てくる椎茸については「椎茸の歴史」が詳しいです。
◆椎茸栽培の歴史については「シイタケ栽培の史的研究」が詳しいです。
◆「日本の食生活全集」全50巻(農文協)で昭和5年頃の食生活を調べたところ、以下のことがわかりました。
・栽培しなくても椎茸は山にたくさん生えていて食べ放題だった。
・森の近くでは、原木を切ってきて家の前に置いておくだけで椎茸が生えた。
・昭和初期には以下の3ヶ所が有名産地として認識されていた。
高千穂(宮崎)、緒方町(大分)、水窪・御殿場(静岡)。
※高千穂町と緒方町が祖母傾山系の南北に分かれて隣接していることにもご注目ください。
詳しくはブログ「100年前の日本は椎茸狩り天国」をご覧ください。
◆種駒を発明した森喜作さんは、鉈目(なため)栽培の本場だった高千穂町で椎茸栽培を学んだという話が伝わっています。動画 https://youtu.be/pax6RQEIe9I