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DNA解析で椎茸の伝播ルートが明らかに!

椎茸のグレートジャーニー

Tag: #しいたけDNA #しいたけ遺伝子 #DNA分析 #椎茸 #縄文時代 #里山

目次

ハーバード大学のDNA解析

ハーバード大学のDNA解析によりシイタケ(Lentinula edodes)の伝播経路が明らかになり、ボルネオ→日本→中国大陸へと順次広がっていったことが分かっています。この研究の中からアジアでの伝播経路について詳しく解説します。

研究には世界中で採取された野生の椎茸が使われました。

グループI
BOR ボルネオ
JPN1 愛媛, JPN2 宮崎, JPN3 沖縄, JPN4 北海道, JPN5 北海道, JPN6 沖縄
KOR1 北朝鮮, KOR2 北朝鮮
CHN1 中国浙江省, CHN2 中国安徽省, CHN3 中国四川省, CHN4中国湖北省, CHN5中国福建省, CHN6中国四川省, CHN7中国江蘇省
THL1 タイ, THL2 タイ

ハーバード大学の研究では2通りの方法で分析が行われました。Fig.2とFig.3の違いは、主にデータの符号化方法にあります。Fig.2ではギャップを欠失データとして扱う一方、Fig.3ではギャップを独立したキャラクターとして扱います。この違いにより、生成される系統樹の構造と数が異なり、進化的関係の解釈に影響を与えます。2通りの手法を用いることで、シイタケの進化と分布に関するより包括的な理解が得られます。

Fig.2のデータが示していること

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ボルネオの分離株(BOR):Fig.2で、ボルネオの分離株はグループIの基底に位置しています。これは、ボルネオがグループIの他のすべての分離株の祖先として位置付けられていることを意味します。


日本の分離株:JPN2(宮崎)とJPN4(北海道)は、グループIaの内部で基底に位置しています。これは、これら日本の分離株が進化的に祖先的な位置にあり、他の分離株の共通祖先に最も近いことを示しています。

Fig.2に示されているパーセンテージはブートストラップ支持率です。これは系統樹解析においてクレード(分岐群)の信頼性を評価するための指標で高い数値ほど分析の信頼性が高くなります。

このEルートの他にパプアニューギニア、オーストラリア、ニュージーランドなどへ伝播するAルートが論文の中で示されています。


Fig.3のデータが示していること

スクリーンショット 2024-07-26 14.31.44.png

Fig.3でもやはりボルネオがグループIの他のすべての分離株の祖先として位置付けられていることを示し、日本の分離株(JPN2, JPN4)は、グループIaの内部で基底に位置し、他の分離株の共通祖先に最も近いことを示しています。

Fig.2とFig.3の異なる手法の分析に共通してボルネオ株と日本株の位置付けは同じであり、アジアにおける椎茸伝播経路がボルネオ→日本→中国大陸であることが分かります。


Fig.3 に示されている数値は系統樹の中で進化的変化の多さを定量的に示す指標です。
ボルネオの分離株BORの枝には「6」と書かれています。これは、BORからグループIaの他の分離株6つに分化していることを示しています。同様に日本株からはグループIaの他の分離株5つに分化しています。

ボルネオ-日本4,000kmの旅

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ボルネオから日本まで約4,000kmの距離を椎茸の胞子が旅する方法としてはいくつかの可能性が考えられます。中でも渡り鳥による伝播は毎年の定期便であり、鳥の個体数がかなり多いので試行回数として膨大な数になり、可能性として最も高い伝播経路です。

◆渡り鳥による伝播
ボルネオと日本を行き来する渡り鳥にはいくつかの種が知られています。日本で繁殖し、冬季にボルネオを含む東南アジアに渡り冬を過ごす代表的な鳥を紹介します。
これらの渡り鳥は、季節ごとに長距離を移動し、異なる地域で繁殖や越冬を行うため、シイタケの胞子を遠距離に運ぶ可能性があります。

ツバメ

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キビタキ

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サシバ

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◆風による胞子の分散
強い風がシイタケの胞子を長距離にわたって運ぶ可能性があります。例えば台風がバイオエアロゾル(ウイルス、細菌、カビ、キノコの胞子、花粉などの生物粒子)を運ぶという弘前大学の研究があります。

椎茸の胞子が風に吹かれて飛ぶ様子を動画でご覧ください↓

日本に椎茸はいつやってきた?

テキサス大学の研究によると、日本固有の椎茸種は300万年前(3Mya)に祖先から分岐したと考えられています。続いて1万年以内に中国大陸や朝鮮半島にもそれぞれの椎茸種が分岐していきました。これらの移動も鳥類が媒介した確率が一番高いと思われます。現生人類(ホモ・サピエンス)が日本に到達するのは、それからはるか後の約4万年前です。そんなわけで縄文時代にはもちろん倒木に椎茸がわさわさ生えていたはずです。

ちなみに縄文人の末裔で、文字を持たず口伝で太古から文化を繋いできたアイヌの言葉では、生える原木が違うと椎茸の呼び名も違います。
komni-karus コムニ・カルシ [カシワギに生じるシイタケ]   
pero-karus ペロ・カルシ [ナラの木に生じるシイタケ]
karus-sine-say カルシ・シネ・サイ=シイタケ1連.*シイタケ10個をチミンニペシ(生のシナ皮を裂いたもの)を用いてひとくくりにしたものをこう呼ぶ

原木の違いで呼び方を変えるなんてグルメですね!実は甘い樹液のクヌギに生える椎茸が一番美味しいんですよ♪

縄文時代にはすでに里山が形成されていたことがわかっていますので、倒木に生える椎茸をよく食べていたことでしょう。「北海道の先史時代におけるいわゆる里山の形成について

高千穂郷のお話「椎茸の生育に最適の土地」も読んでみて下さいね。

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